8月はあきくんと予定が合わず、義母のお見舞いに行けなかった。
やっとのこと、9月中旬に行けた。
かなり弱っていた。
看護師さんの話のよると「家に帰りたい」ばかり言っているらしい。
孫に会いたいのだろうと思った。
掲示板を見て、リモート面会なるものがあることを知った。
「時間を合わせてやってみてはどうか」と私は提案したが、あきくんは乗り気ではないようだった。
義母はもともと耳があまり良くなかったが、さらに遠くなっていて、焦点も合わなかった。
帰り際、握手を求められた。
少し、嫌な予感がした。
2週間後にもお見舞いの予定を入れていたため、手をしっかと握り「また来ますね」と伝えた。
聞こえたかどうかは定かではないが・・・
病室を出るあきくんの目には涙が浮かんでいた。
私はその背中をさすった。
シルバーウィークがやって来た。今年は4連休だ。
例のごとくあきくんは出張だったので、私は娘と実家にいた。
休み最終日、お義兄さんからSMSが来た。
「母の容体が悪くなりました。彰良にはLINEを送りましたが、連絡が取れたら僕に電話するよう伝えて下さい」とあった。
やはり、嫌な予感が的中してしまった。
娘を見つつだったので、私はリアルタイムでこのメールを見られたわけではない。
数十分遅れで「分かりました」と返信し、あきくんにLINEをすると、入れ違いで兄弟はすでに連絡を取っていた。
「兄貴は明日来てほしいと言っているが、自分は今回の出張の責任者だからそれは難しい。明後日の朝帰ったら病院に行く」と伝えたそうだ。
彼はタイミングの悪い男だ。
明後日を待たず、翌日義母は逝ってしまった。
「俺は親不孝なやつだ」と悔やんでいた。
私もこんなに早いお別れになるとは思っていなかった。
連休明け、私は休みを取っていた。
葬儀はその翌日に決まった。
忌引きを取るため、職場に連絡を入れた。
新山さんと中川さんにはそれぞれLINEを送った。
電話に出てくれたグループリーダー、お姉さま2人とも大変に気を使ってくれた。
「明日1日だけお休み頂きます」と伝えると、
「1日だけで良いんですか?」と全員が口をそろえたが、
喪主は義兄だし、コロナ禍のためたくさん人を呼ぶわけでもない。
特に手伝いもさほど必要なかった。
「はい、明後日には出勤します。お忙しい時期にすみません」と私は答えた。
義母は造花作りが趣味だった。
針金が入っているので棺に入れるのはどうかとあきくんは躊躇していたが「少しならいいですよ」と葬儀屋さんは言ってくれた。
靴も入れた。大切な写真も入れた。
私は伝えたいことを手紙に書いて入れた。
こんなにも良い旦那を産んで育ててくれたことと、嫁とその娘を可愛がってくれたことへのお礼、
天国で幸せに暮らしてほしい、そして大好きです、ということを綴った。
封筒には「おかあさんへ」と大きく書いた。
義母は女の子が欲しかったのに、男が2人お腹から出てきてしまったため、その嫁をとても大事にしてくれた。
あんなに良い姑はなかなかいない。
それなのに私は同居を拒み、子供の世話に手一杯で看病もろくにせず、何一つ娘らしいことが出来なかった。
改めて今までの行いを後悔した。
死化粧をした綺麗な顔に触れると、当たり前だが氷のように冷たかった。
涙が止まらなくなった。本当に辛いのは息子たちなのに・・・
まだ2歳半になったばかりの娘は状況がよく分かっておらず、久しぶりにばぁばに会えて喜んでいた。
悲しい空気の中、彼女だけが唯一の光のようだった。
火葬が終わると、針金がくっきり残っていた。
昔参列した祖母の時と比べ、骨はほとんどなく寂しいものだった。
義母は足が悪く、あまり歩くのを好まなかった。
腰から下の骨は、スカスカだったようだ。
近しい人とのお別れは悲しい。
しかし仕事は待ってくれない。
宣言通り1日だけ休んで出勤した。
急に休んだことを周りに詫びたが、気を使われたくはなかった。
何かの拍子に山下さんと会話した時、特に前置きなく「母もピロリだったんですよ」と言うと、
彼は少し考え「あぁ、原さんのお母さんですね」と答えた。
主語を言わなくて申し訳なかったな、と思ったが、私はただ普通の会話がしたかった。
察してくれたのか、一般的なピロリの治療法について話をした。
これでいつも通りに戻った気がした。
仕事同様、ダイエットも待ってはくれない。
カウンセリングに行くと、新開さんに「そろそろ筋肉をつけた方が痩せやすくなりますよ」と言われた。
善は急げだ。
一番月会費の安いスポーツジムを調べ、翌週見学に行った。
ちょうどキャンペーン中で入会金もかからない。
タイミングの良さを感じて、即入会を決めた。
この時体重は、相変わらずマイナス10㎏あたりをうろちょろしていた。
どうやら減らない理由は筋力不足にあったらしい。
実は昔着ていた喪服があったのだが、9号だったため入らず、黒いワンピを急遽買った。
「お義母さん、もう少し私が痩せるまで待っててくれたら良かったのに」なんて冗談で思った。
そう。親はいつまででもいてくれるわけではない。
元気なうちにぜひ親孝行をしたいものである。
私も母のために、もっとしっかりした人間になろうと誓った。
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