中村倫也『日曜日の初耳学』インタビュアー林修 全会話まとめ

コンプレックス芸能人

久しぶりに拝見しました、8月29日放送分『日曜日の初耳学』のインタビュアー林修という企画。

個人的に大ファンの中村倫也さんへのインタビューでした。

名言まとめは別記事で書いていますが↓

中村倫也の名言と『暗黒期』から救った恩人。『日曜日の初耳学』より
TBS系列で毎週日曜22時から放送される『日曜日の初耳学』という番組をご存じでしょうか? 私は娘(3歳)が早く寝るので、最近ほとんど見ていませんでした。 最後の記憶では『林先生の初耳学』というタイトルでした。番組名が変わったのですね。 さて...

会話そのものがとっても深くて素晴らしい内容だったので、

インタビューの内容を、頭から順番に文章化してみました。

特に良い言葉・表現を太字であらわしています。

編集の関係で会話がつながらないように見える所もあるかもしれませんが、悪しからず・・・




中村倫也×インタビュアー林修 オープニングトーク

N・・・中村倫也 H・・・林修

H「6、7年ぶりですよね」

N「多分そうだと思います、はい」

H「あの時と比べると大活躍じゃないですか?」

N「(笑)ありがとうございます」

H「だって今若い女性の支持がすごいじゃないですか」

N「いや、分からないです。どうなんですかね」

H「周りの反応とか変わってないですか?」

N「周りの反応は変わりましたよ。出てって「キャー」て言われたりするようになりましたし」

H「今まで逆になかった方が不思議ですけど」

N「ないですないです。舞台の出待ちの人に手紙渡されたと思ったら「誰々くんに渡しておいて」って言われてたタイプです。23、4(歳)までそんな感じでした。全て断りましたけど(笑)」

おっと。いきなり意外な話が飛び出してきましたね。

でも、そんな過去のちょっと恥ずかしい話まで笑いにしてしまうところもステキですね♡




中村倫也×インタビュアー林修 中島健人(Sexy Zone)の話

ナレーション:実は今回、中村倫也と中島健人が個人的に仲が良いと聞いた林修は、事前に俳優・中村倫也の裏情報を聞き出していた。

H「誰にも言っていない倫也さんの秘密。「見た目を結構気にする方です」と」

N「してるかなぁ?」

別スタジオの中島健人(以下:Kと表記)「するするする」

N「普段は何も気にしてないです」

H「そうですか」

N「それでいうと健人じゃないですか?やっぱり。職業もあるのか、さっきもこれやる前、僕の楽屋に「倫也さん久しぶり」って挨拶しに来てくれたんですけど、僕の楽屋の中で3分くらい一緒にしゃべってましたけど、半分くらい鏡見てましたよ」

K「見てない見てない」

N「「いやぁ、でも、あれっすね」って言いながら」(ケンティーのマネをして髪をいじる)

H「あっ、これ結局自分のことを相手に投影して・・・」

N「イジってくれってことだったのか。腕上げたなぁ」

K「2人して俺イジってる」

中村倫也さんと中島健人さんの仲の良さが分かるくだりでした。

中村さんのさりげない笑いの取り方も素晴らしいです。




中村倫也×インタビュアー林修 『暗黒期』へと転落

19歳から25歳までを中村倫也さんご本人が『暗黒期』と呼んでいます。

この頃について林先生が斬り込みます。

まずは事務所の養成所に入った16歳の頃のこと。

H「で、その養成所に入られて・・・」

N「で、そこ出て、オーディションの話頂いたんですよ。それがテレビの単発ドラマみたいなオーディションで、行ってオーディション受けたら落ちて。その落ちた理由が「芝居がデカかった」って言われたんですよ」

H「芝居がデカい?」

N「はい。その、芝居のサイズ感ですね。それがなんかすごい悔しくて」

H「悔しいって思い?」

N「はい。「次なんかオーディションの機会あったら絶対に受かってやる!」って思って。「別に映像じゃなくても芝居ちっちゃくしてやる!」って思って(笑)」

H「逆に落ちますよね」

N「でもそれで臨んで、2回目がデビュー作となった『七人の弔』という映画で。1回目の受けてくやしいって気持ちだったり、あと2回目のオーディション会場に「絶対受かってやる!」って思って行ったら、同世代の俳優たちがいっぱい受けに来てるんですけど、すごい前室、控室で仲良くしゃべってて「なんだこいつら」って余計イライラして」

H「カチンと来た?」




N「そうです。でもその時の役が、結構まぁずっと・・・なんて言うんですかね、反発してるというか、イライラしているような若者の役だったので、芝居がどうこじゃなく、多分イライラしていただけで合格した(笑)」

順調な滑り出しを見せたかに思える役者人生でしたが、ここからが苦難の始まりだったそうです。

N「生意気だったんですよ。普通の若者だったら「どこどこから来ました○○です。今こんなこと好きでなんとかかんとか」って自己PRの時間があって、そのあと芝居してみようかって感じになるんですけど、僕は「自己PRって必要?役者に」って思いながらオーディション行ってたんです。ものすごい世界の中心が自分でしたね」

H「あの、つい先日そこに座られたモデルの方も「自己紹介じゃなくて私のウォーキングがあいさつがわりだから」っておっしゃってました。富永愛さん」

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N「わー、すごい。すごい人出て来た。僕もそう思ってたんですけどね。10代の頃はその生意気な感じがカワイイなって(思われたみたいですけど)。20歳過ぎてオーディションでそれやってたら全然仕事もらえなかったですね」

H「そこはやっぱり・・・」

N「オーディションも落ちますし、仕事のオファーが来るわけでもないし。場を与えられないってことは、期待されないってことですし必要とされてないってことですし、でもそれを認めるとなんかもう生きていけないくらいの。だからなんとかこう、それを認めずに、見ないフリして見ないフリしてやってたんですよ。20代前半とか」

H「それこそもう、ご自身で『暗黒期』と」

N「そうです。『暗黒期』の始まりです」

中村倫也さんのエッセイ『THE やんごとなき雑談』に『暗黒期』という表現が載っているそうです。

たしかに、デビューした年(18歳の時)は良かったものの、翌年から27歳頃まで、テレビ・映画への出演本数が激減していたようです。




中村倫也×インタビュアー林修 『暗黒期』はスーパー嫌なやつ?

H「具体的にその『暗黒期』ってどんな時期だったのかって」

N「一言で言うと「スーパー嫌なやつ」(でしたね)」

H「魅力的ですね」

N「飲み会クラッシャーでしたね」

H「あー、いいですねー。一番仲良くなれないのは小学校・中学校・高校のクラスの人気者。全然仲良くなれないんですよ」

N「全部敵だと思ってましたね」

H「あー、いいですねー。世の中全部敵ですよ」




N「誰も自分を見てないと決めつけてたし、んー、世の中の全てを斜めに斜めに見て、あのー、何の希望も抱いてなかったですね。でもそれをもちろん一人で抱えきれないので、なんか現場に行ってもきっと嫌な感じでいましたし、絶対場を楽しくなくしていた。そんなゆるふわ男子ですよ。そんなもんだから、余計人から見たら「こいつと仕事したくない」って思われてたと思いますし。暗黒のループの始まり(でした)」

H「ご自身でも自分に原因があったといまだに意識されてる?」

N「そうですそうです」

林先生の好みはともかく・・・(笑)

今をときめく中村倫也さんにも心を腐らせていた時期があったのですね。

悪いのは自分ではなく周りだ、というマインドにはまってしまい、抜け出せなくなってしまったようです。




中村倫也×インタビュアー林修 大恩人・ムロツヨシの言葉

H「その『暗黒期』をどう打開されたんですか?」

N「ずっとグチグチグチグチ言ってたんですよ。自分の需要のなさに見ないフリをして。そしたらムロツヨシさんという方と出会って。色々仕事もさせて頂いてお世話になっていたんですけど。25歳の時ですね、多分。ある時飲み屋で飲んでて、まぁいつものように嫌な感じで僕がグチグチ言っていたら、ムロさんがお酒置いて「じゃあおまえ何ができるんだ」って。スパンと言われたんですよ。多分、ちょっと前だったらまだグチグチ言いつつ「俺はこうやりたいです、こうなりたいです」って言えたんですけど、もうそれが返せないくらい腐ってた自分に気付いたんですね、それで。でも何も言い返せなくて。で、家帰って、でもこれはムロさんも愛情で言ってくれてるし、ちゃんと考えなきゃ今度こそダメだ、って。で結局、やっぱ仕事好きでやりたいから、グチグチ言ってんじゃなくて、ちゃんと頑張んなきゃなって」

H「ほんとにムロさんが大恩人(ですね)」

N「そうなんですよ。これあんまり言うと、またあの人の株が上がるんであんま言いたくないんですけど(笑)間違いなく大恩人です」




H「でもあの方も下積み長かったですよね。ちょっと他局なんですけど『相棒』が大好きで。ある回の時にほんとに小っちゃい役で出て、実は犯人で。4回目ぐらい見直した時「あれ?これムロさんだ」って。僕『相棒』で、あとから有名になった人探すのすっごい好きなんです」

N「僕も19の時に(『相棒』に)出させてもらいました」

H「えっ?シーズンいくつですか?」

N「ギャンブルで300万ぐらい当たったのを人んちの郵便ポストに入れるっていう役(です)」

H「えっ?あの少年役ですか?(しばし考え)あれ、中村さん?うーわ、そこに中村さん出てたの気付かなかった自分が許せない」

話がだいぶ林先生の趣味の方向へズレていってしまいましたが(笑)

『相棒』に若い頃の中村倫也さんが出ていたという、新情報を入手できましたね。

私も探してみよっと。




中村倫也×インタビュアー林修 『暗黒期』から抜け出せた方法

H「具体的にどう変えられたのですか?

N「自分が赤ちゃんだと思うようにしました

H「この世界ではまだ何も、みたいな」

N「そうです。それまでは現場行っても、どっかでこう「自分できるんで」風を吹かせたかったんですよね」

H「なんか上の人が一番使いたくない態度ですよね」

N「そうです。だからとにかくそれを全部消そうと。んで、とにかく色んなこと考えましたね。まず「仕事もらうにはどうすればいいのか」とか、そしたら「どう普段から動けばいいのかな」とか」

H「でも、やっぱり出たいっていう人がたくさんいる世界じゃないですか。態度を変えたからといって「じゃあ出してあげるよ」ってそう簡単にはならないような気がするんですけど」

N「うーん、ちょっとずつやっぱり、なんか・・・「人は鏡だな」というか、自分が変わると「なんか変わったな」って気付いてもらえるもんだな、っていうのは実体験として。それがまぁ劇的に一気に変わるなんてことはないですけど」




H「人は鏡」

N「うん」

H「急には変わらなくても自分が変わらなかったら周りは変わらないと」

N「そうですね」

H「そういう変化の延長線上で2018年の『半分、青い』につながったっていうこと?」

N「そうですねぇ。絶対そうだと思いますよ。嫌なやつ朝ドラに出したくないですもんね(笑)普通ね」

H「急に周りの評価が変わったんじゃないですか?あれで」

N「色んな人に知ってもらったきっかけとなったのは間違いなく『半分、青い』が一番デカかったですね」

H「ご自身の中でも「変わったな」って思われますよね」

N「なんかそういう、見られ方とか、その後の仕事における立場とか、求められることとかというのは格段に変わりましたけど、自分自身とか暮らしとか、仕事のスタンスとか表現の種類とかっていうのはほとんど変わってなくて。役者としての転機的なことを言うと、演劇の作品が結構多いですね」

朝ドラ『半分、青い』での中村倫也さんは、主役ではなくても存在感抜群でしたもんね。

知名度も一気に上がり、人気も爆発的に上がったと思います。




中村倫也×インタビュアー林修 役者としての転機

H「具体的にどの作品ですか?」

N「『ヒストリーボーイズ』という作品で主演させて頂いたんですけど、うんともすんともいかなかったら、本当に役者辞めようと思って挑んだ作品で、演出家の小川絵梨子さんって方と出会って、なんか結構今でも役者やる上での指針となっているような色んな言葉頂いたりして、そういう出会いが大きかったり。その作品を終わった後に自分で映像を観た時に、なんかもう自分が出てるっていうのを忘れるくらい面白くて、そんなの初めてで、それで「役者続けよう」と思えたりしたんですけど」

H「演出家の方に言われた言葉で印象に残っていることがあると聞いたんですが」

N「小川さんには「もっと怖い方に行け」って言われましたね」

H「怖い方?」




N「はい。やっぱ人前で表現するって怖いことじゃないですか。だから失敗しないようにとかちゃんと演技できるようにとかいっぱいいっぱいみんなプロなんで準備するじゃないですか。でもその準備したことを発表しても、それは安心材料でしかなくて。準備したことをやっている人が見えるから、その人を生きている人としてお客さんに見せるには、ちゃんと怖いところに身を放り出して、本番になったらミスしちゃうんじゃないか、っていうところまでこう、準備してきたものを外すというか。それでもその状態でちゃんとしたクオリティーのものを、ちゃんとできるようにやる必要が舞台ではあって」

H「全部が分かるわけではないですけれども、用意されたものをきちんとやっているんだなっていうものの安心感とつまらなさ。それを越えた演技の中にある危うさと魅力、ってことでいいんですかね?」

N「そうですね。コントロール下に置くことは重要なんですけど、自分を。コントロール下に置ききっていたらつまらない、ってことだと思うんですよね」

H「難しい世界だなやっぱり」

N「人間としても役者としても経験してきて、色々考えた中で作られた土台があって『半分、青い』に出られた(んだと思います)」

演技の世界のことは一般人には分かりませんが、演劇という世界で得たものはとても大きかったようです。

でもこれは普通の生活にも生かせる話で、準備するにこしたことはないけれど、

それで安心しきって良いわけでは決してない、という意味で捉えられませんか?

逆に言えば、不測の事態にうまく対応できなくてもそれは恥ずべきことじゃないよ、と言ってくれている気もします。




中村倫也×インタビュアー林修 堤真一との関係について

H「堤真一さんとはどういう関係なんですか?」

N「22~3歳の時に堤さん主演の舞台でご一緒させて頂いて、すごい可愛がってくれて、なんか僕にとっては”俳優界のオジキ”みたいな」

H「オジキ?」

N「はい。なんかなかなかやっぱ褒めてくれないですね。でも3年前かな『怒りをこめて振り返れ』って舞台をやった時に観に来て下さって、その後ゴハン行って、全然中身の話とかしないんですけど、最後にラストオーダーの時に「倫也お前なんか食え」って言って、焼きおにぎり2個頼まれて。別に腹減ってなかったんですけど。「どうしたんですか」って言ったら「お前いま、ちゃんと食うことだけ頑張れ」って。それで初めて認めてもらった気がしたんですよ。真偽は分からないですけど。「やってることは、いま合ってるから、体壊さないようにだけ考えろ」みたいなものを受け取った時に、キュンとして(笑)「パパ♡」って感じですよね」

H「それはもう堤さんから「合格だよ」っていうメッセージが出たに等しいと?」

N「いや、なんかそこまで大それたことじゃないんですけど、ちょっとだけ見えない手で背中さすってもらったみたいな気がしたんですよ」

H「その後は交流はおありなんですか?」

N「お子さんがアラジンの歌を歌ってる動画を送ってくれたりして」

H「歌われてますもんね」

N「(堤さんが)「見てやってよ」みたいな感じ(笑)」




中村倫也×インタビュアー林修 古田新太について

N「古田さん、ほんとにふざけちゃいけない所でふざけるんだ、みたいな」

H「あぁ、そういうのは古田さんから(教わった)?」

N「しかもそれがちゃんと面白いし、ちゃんと、なんて言うんですかね(作品を)豊かにするんですよね。こう見えて誰よりも真面目というか誠実なんですよねすごく、仕事とか人に対して」

H「そりゃ多分そうじゃないかっていうのは(なんとなく分かります)」

N「なんかすごい世界観をバッと広げてくださった方ですし」

H「「ふざける」っておっしゃったんですけど、アドリブをパッと入れたりされるってことですか?」

N「してましたね」

H「僕アドリブ入った時って、言う方はいいですけど、受ける方はどうなんですか?」

N「(笑)でも、なんかそれも含めてどうなろうとエンターテインメントになる球を投げて下さいますね、きっと。全部考えた上で。本当に演劇を愛してますね。この先輩は」




中村倫也×インタビュアー林修 阿部サダヲについて

N「阿部さんは『八犬伝』という舞台でご一緒させて頂いて「何なんだろう、この人!?」って本当に思いましたね。かなわないな、っていう。圧倒的すぎて”演技の神様”に愛されているんじゃないかって思うくらい。もう阿部さん出てくだけで、空間が全部自分のものって(感じがして)。なんか、ガシガシ仕事ご一緒したいなって。憧れも入りますね、やっぱり。みなさんそうですけど」

中村倫也×インタビュアー林修 後輩たちとの関わり方

H「無条件に幸せを願っている可愛い後輩がいるんですか?」

N「そうですね。(中島)健人とか、いま健人と一緒にドラマやってる小芝(風花)とか、浜辺とか。なんかこう懐いてくれる年下の子には本当に幸せになって欲しいなって」

H「いま「浜辺」と呼び捨てで出たのは、ちょっとして美波ちゃんですか?」

N「ごめんなさい」

H「いえいえいえ、いいんですけど。「浜辺」なんですね」




N「ほんとは「べーさん」って呼んでるんですけど。なんか流れで名字になっちゃいました」

H「いえいえいえ。美波ちゃんもちょっと前にそこ座ったんですよ」

ナレーション:実は林修、浜辺美波とは映画『賭けグルイ』のワンシーンで共演した仲。

H「まぁまぁファンなんですよ」

N「汐留(日テレ)に行ったら楽屋が近かったんです。「久しぶり」って言って。元気にしてました」

H「簡単にトントンって行く感じですか?」

N「いや、なんか楽屋貼り見つけたんで「今隣の隣の隣くらいでメシ食ってるよ。いるの?」みたいな感じでメールしたらダンダンって来て「おいっすおいっす」みたいな」

H「なんだろうこのモヤモヤした気分」

N「ファンですもんね」

林先生はどうやら浜辺美波ちゃんの熱狂的ファンで、中村倫也さんに嫉妬している様子でした(^^;)

後半は笑える会話でしかありませんが、可愛い後輩に「幸せになって欲しい」と願う気持ち、素晴らしいですね。




中村倫也×インタビュアー林修 エッセイを書いた理由

中村倫也さんは『THEやんごとなき雑談』というエッセイを出版されています。

H「このエッセイ拝読しましたけれども、どんな思いで書かれたのですか?」

N「読んでくれる人の何かになりゃいいな、ぐらいの気持ちです」

H「何かがその人にとって残るようにってことですか?」

N「うーん、何でもいいから読んで良かったなって1つでも思ってもらえる場所があったらいいなっていうことを考えてやってた気がします」

この考え、とても素敵ですよね。

誰かの役に立ちたいタメになりたい、って。

実は私もそんな気持ちでこのブログをやっています(^^♪

一緒だな、とか思ってしまいました(笑)

自分嫌いを直せば幸せになれる?そもそも幸せって何?どうしたら良い?
はじめましての方は、はじめまして。はらみかと申します。 プロフィールはこちら。(PCで見てくださってる方は右にサイドバーが出てますかね) 私は自分嫌いを直すために、マイナス20㎏のダイエットをしました。 詳しくは小説にしているので、お時間の...

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中村倫也×インタビュアー林修 トークライブで得た教訓

H「俳優だけではなく、2015年から6回のトークライブを」

N「やりましたね」

H「で、エッセイによると企画とか構成とか演出、全部ご自身でやられてる?」

N「そうです。多分トークライブを始めたのがそれこそ心変わりをした後なんですよ。ゼロから仕切り直して仕事を増やしていきたいなって思っているなら、いずれ絶対こういう番組で素でしゃべることも増えるだろうということで「トークライブをやりたいな」ってお話をして。どうせやるからには、ゼロからイチに立ち上げる作業をしなきゃな、と思って。構成台本を作ってスタッフに配ったりとか、照明のキューをここに書き込んだりとか、映像を作ったりとか、全部やろうと。今自分が思っていることを素直にこうやってしゃべれているのは(トークライブで)しゃべってたからだな、と思いますし」




H「じゃあその『暗黒期』を経た後っていうのは全部いい方向に向いてる感じがしますけど、結構」

N「そうですね。こないだふっと思ったんですけど、成功と失敗で考えてないな俺、って。「成功と失敗」で考えると失敗は失敗ですけど、「やるかやらないか」で考えると失敗も成功になるというか。なんかそんな風に考えてるから何も考えずにいろんなことをやってんだな俺、って。このエッセイもそうですけど。今の若い子とか、って言い方が良いのかわかんないですけど、後輩も現場で増えてきましたし、相談に乗ることも増えてきたんですけど。「失敗しないでやりたい」と思ってる子が多いなって思ったりして。多分自分もそうだったんですけど。だからよく言います「失敗した方がいいよ」って。「失敗すると、失敗しない方法を学べるから」って。「大人になって失敗するとしんどいよ」って、よく言います(笑)」

H「ちょっとハッキリしないですけど、どこかの研究で出てて”やって失敗したことの反省よりも、やらなくて終わったことに対する後悔の方が、年月が経つと圧倒的に大きい”っていう研究が(あるんです)。僕もそれを時々感じる時があって、ちょっと煽るように「君が守ろうとするほど、守るべき君はいないよ」って時々言いますけどね」

N「そう、それデカいですね。そういうメンタリティになれたのは、自分から色んなことを心変えて動いたり、物事や人や仕事に対しての眼差しをナナメじゃなくてフラットに変えられたからだ、となんとなくさっき思いました」

中村倫也さんからも、林先生からも名言が飛び出しました。




総合すると保守的にならずに、1日でも若いうちに失敗を恐れずにやってみなさい」ってことですね。

本当にお2人のおっしゃる通りです。

失敗は成功のもと、って昔から言いますもんね。

やってみないと分からないんですよ、なにごとも。

 

深い、深いインタビュー内容でした。

タメになったねぇ~(©もう中学生さん)

長くなりました。最後まで目を通して下さってありがとうございました(^^♪




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